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ここは砂漠の教会。 昼間はぎらぎらとした太陽が、容赦なく照りつけるこの一帯。 すでにベルガラックのユッケが竜骨の迷宮の入り口で待っているというが、 迷宮への道のりは、思ったより厳しかった。 遠い道のり、慣れない暑さに一行はほとほと参りながらひたすら目標を目指していたが、 「あ…暑すぎる!ワシはもう我慢できん!」 この状態では逆に探索の効率が下がるわい!というトロデの言葉で、 一行は教会の影に馬車を停め、しばしの休憩を取ることとなった。 各々水を飲んだりと、ほんの少しの涼を求める。 「はぁ…砂漠ってば木陰もないんだから、この暑さは本当に参るわね…」 ゼシカはひと息つきながらうんざりといった表情でつぶやいた。 豊かな胸元に汗の粒が光る。 「俺なんて一番厚着だから最悪だぜ?」 ゼシカを尻目に、ククールはどうだとばかりに自慢にならない自慢をしてみせた。 ククールはマントと上着、さらに手袋もはずし、手のひらでぱたぱたと顔に風を送っている。 「マヒャド、覚えたてだけど味わってみる?涼しくなるわよ~」 クスっと笑ってゼシカは舌を出した。 「え、遠慮しとく…でもな、マジで暑すぎるって…ほれ」 そう言ってゼシカの頬に手の甲を押し付ける。 「ちょっと、どこ触ってんのよ!」 ククールはふにふにと柔らかいゼシカの頬に触れた途端、嬉しそうな顔になった。 「あーー、ゼシカのほっぺた、冷やっこくて気持ちいいな…」 「バカ、あんたが熱すぎるだけなの!…もう、いつまで触ってんの!」 顔を赤らめながらゼシカはククールの手を振り払う。 まったく、油断するとコイツはいつもこうなんだから…。 「おいおい、何もそんな嫌がるこたねーだろ?」 「アンタのそういう所を黙認してたらね、体がいくつあっても足りないのっ!」 「へいへい…俺が悪ぅございました」 肩をすくめてククールはゼシカの隣に座り込んだ。 まったく…とぶつぶつ言いながらも、ゼシカもククールの横へ腰を下ろす。 影になっているとはいえ、風も吹いていないので暑さはあまり変わらない。 相変わらずククールは暑そうにして、ほんの少しだが肩で息をしている。 さっきのふざけた表情はもう消え失せて、いつもの端正な横顔がそこにあった。 筋の通った鼻筋にも汗の粒が光っている。 ゼシカは、先程ぶっきらぼうに手を振り払ったことを少し後悔した。 「ん?…どした?」 ククールは自分の右手を見てゼシカに問いかけた。 右手の上にはゼシカの小さな左手がちょこんと乗せられている。 ゼシカは目を合わせずにうつむき、 「…だって、アンタの手、ほんとに熱かったんだもん。…これなら少しは涼しくなるかなって」 「心配してくれてるのか?」 「うっさいわね!つべこべ言うと手、離すわよ」 「…ハイ」 しばらく大人しく従っていたククールだったが、 やがて手のひらをゆっくりと返し、ゼシカの指をからめた。 ほんの少しだけ、ゼシカの指がぴくんと跳ねる。 「…そのままな」 ぽつりとククールのその言葉に、ゼシカはさらに恥ずかしそうにうつむいた。 自分の鼓動が伝わってしまうのではないかと、さらにゼシカの鼓動は早くなっていく。 「なんか体温、同じくらいになってきたな…」 「……バカ、私が熱くなったの」 ゼシカがぽつりと言う。自分でもかなり恥ずかしい台詞だと思った。 「嬉しいこと言ってくれちゃって。よし!とりあえず俺は3日手を洗わないって決めた!」 「またバカなこと言って…」 「俺は本気だぜ?」 「もう…知らない!」 冗談でも、真っ直ぐにそんな嬉しそうな瞳で見られてはたまらない。 ゼシカは立ち上がってぷいっとエイト達の方へ走っていった。 その顔は暑さのせいかはわからないが、真っ赤になっていた。 ひとり取り残されたククールは、小さくなっていくゼシカの背を見つめながら 「ったく…キツいんだか優しいんだかわかんねぇな、俺の姫さんは…」 そう言って右手の甲にくちづけた。 「…さーて、そろそろユッケちゃんの元へいきますかね!」 そしてククールもゆっくりと立ち上がり、馬車へと向かっていった。 自身もまた、胸の高鳴りを感じながら────
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クラビウス王が公式にエイトをミーティア姫の許嫁だと認め、チャゴス王子との婚約が白紙となった段階で、近衛隊長のエイトがトロデーン王家に婿入りするであろう事は公然の事実として世に広まっていた。 しかし、そこから先に話は進んではいなかった。 当のエイトが、婚儀を執り行うには時期尚早であろうとトロデ王に進言をしたのである。 自分はサザンビーク王家の血を引く者であっても、その王子として育ってきたわけではない。 なりゆきで近衛隊長の肩書きを戴きはしたが、茨の呪いで時を止められていたトロデーン国民にこの昇格は青天の霹靂であろうし、どうあれ自分は一介の家臣にすぎない。 王位継承者たるミーティア姫の夫となるには、世間の誰もが認める「何か」が必要でありましょう、と。 「おぬしは…暗黒神を滅した英雄、というだけでは物足りないと申すか?」 トロデ王の問いにエイトは頷き、話を続けた。 「竜神族の里に参りました折に、竜の試練なるものがあると聞き及びました。つきましては、仲間と共にその試練に挑みたく存じます」 「なるほどのぅ」 「竜の試練を完遂致しました暁には、国王陛下と内親王殿下のもとに改めてご挨拶に伺わせていただきます」 こうして、暗黒神を倒した後も四人の英雄達は、竜の試練の為に日を決めてトロデーン城へと集う事になっていた。 「ミーティア姫も色々と振り回されて大変よね」 ゼシカはミーティア姫の部屋を訪れていた。 ミーティアが、ゼシカがトロデーンを訪問した際には是非とも自分の部屋を訪ねて欲しい、と希望していたのだ。 同じ年頃である二人の話は尽きることがない。 竜の試練についての話に始まり、美容のこと、美味しいお菓子のこと、面白かった本のこと、市井で流行しているもののこと。 そして、恋愛の話。 「呪いが解けてからも、確かに色々ありましたけれども」 ミーティアはピアノを弾く手を止め、話を続けた。 「今はエイトが納得できる時まで待っていればいいんですもの。辛くはありませんのよ」 「そっか。それなら良かったわ」 そう答えるゼシカの表情がほんの僅かばかり曇ったのをミーティアは見逃さなかった。 「…もしかして、ククールさんと何かありましたの?」 ゼシカはハッとした後、苦笑して顔の前で手をひらひらとさせた。 「まぁ…いつもの事だわ」 「いつもの事って…」 「こちらに来る時に何となく窓から中庭を見たら、ククールがまた女の子に言い寄っているのが見えたの」 「まぁ!そんなことが…」 ミーティアは大きな目を見開く。 「ククールさんらしいと言えばいいのかしらね」 そう言ってクスクスと笑い始めた。 「姫様ぁ、笑うなんてひどい!」 ゼシカは頬を膨らませて抗議する。 「それでそれで?」 ゼシカの抗議にも関わらず、ミーティアは瞳を輝かせながら話の続きを促した。 「…それだけ」 「あら、メラゾーマとかはなさらなかったの?」 ミーティアはさらりととんでもない事を口走る。 「さすがに三階からは距離が…って、いや、そんなことじゃなくって」 ゼシカは自らの発言に突っ込みを入れてから話を続けた。 「えっと…最近、何だかそっけない感じがするの。そのくせ他の女の子には変わらずあんな風で…」 「寂しいのでしょう?」 …図星だった。 ゼシカは驚いてミーティアを見、直後に視線を逸らして話を続けた。 「旅してた時は結構親しくなれたかもって感じてたんだけど、それって私の思い込みだったのかな?なんて思うの…」 「喧嘩したわけではないのでしょう?」 こくっ、と、ゼシカは無言で頷く。 「それなら大丈夫だと思いますわ」 ミーティアは自信ありげに微笑んでそう言った。 「わたくし、こう思うんですよ」 暫しの沈黙の後、ミーティアは語り始めた。 「ゼシカさんはきっと、ククールさんのプティのたまごなんだって」 「ブティのたまご?」 聞いた事のない言葉に、ゼシカは首を傾げた。 「ブティのたまごというのはね。ピアノの先生に教えていただいたのだけど」 ミーティアは右手の指を少し曲げ、掌でたまごを持つ動作をする。 そして瞳を閉じ、子供に語りかけるような口調で話し始めた。 「プティのたまごは見えないたまご。ピアノで素敵な曲を弾く為に無くてはならない、だいじなたまご」 見えないたまごを持ったミーティアの右手が鍵盤の上に置かれ、軽やかにメロディを紡ぎ始めた。 「でもブティのたまごはとっても壊れやすいの。だいじにしていないと、すぐに壊れて消えてしまうの」 ミーティアはわざと指を延ばし、たまごの形を潰して曲を弾き続ける。 それは同じ曲のはずなのに、まるで違う曲に聞こえた。 「いつでも素敵な曲を弾けるように、プティのたまごはだいじにしましょう」 再びたまごを持つ形となった手で、ミーティアは曲を締めくくった。 「わたくし、ずっと見ておりましたのよ」 ミーティアはゼシカの方に向き直り、話し続けた。 「馬の姿で旅をしていた時、わたくしは皆さんの姿を後ろから見ておりました」 「姫様…」 「ククールさんが他の女性と歩かれているところをわたくしも何度か拝見したことがありますけど、いつもククールさんが先を歩かれて女性が後を追っている状態でした」 「そうなの?気にしたこともなかったわ」 ゼシカは目を丸くしてミーティアの話に耳を傾ける。 「今度はメラを我慢して、気をつけて御覧になるといいわ」 「今度って…。あんまり何度も見たくは無いんだけど」 苦笑するゼシカを見てミーティアはクスクスと笑った。 「でもね。ゼシカさんだけは違っていたの」 「えっ?」 「いつの頃からか、ククールさんはいつもゼシカさんの左側にいらっしゃるようになりました。歩く時も、戦っている時も。何故だかわかります?」 ゼシカは首を横に振る。 これも気にしたことがなかった。そして、何故だかも分からなかった。 「ククールさんは剣を左手でお使いになりますからね」 「!!」 ハッとするゼシカを見て、ミーティアは微笑んだ。 「ククールさんはゼシカさんの騎士ですよ」 「…あ…!」 ゼシカの脳裏に、ククールが幾度となく言っていた言葉が鮮やかに蘇る。 「ほ…本当…だったのね…あの言葉……」 途切れる言葉とは対照的に、ゼシカの瞳からはとめどない涙が溢れていた。 (…バカね……私…ほんとに……) 涙は雪解けの清流のように清々しく、ゼシカの心を潤していった。 「そしてゼシカさんはプティのたまごなの」 暫しの沈黙の後、ミーティアは再び語り始めた。 「とっても壊れやすい、でも失ってはいけない、だいじなだいじなプティのたまご」 ゼシカは溢れる涙をハンカチで拭う。 「ククールさんは、この先ゼシカさんとどう接して行けばいいのかをじっくり考えているのだと思うの」 ミーティアはピアノの椅子から立ち上がり、ゼシカの側に座り直した。 「竜の試練が終わる時を、わたくしとっても楽しみにしてますのよ」 やや冷めたであろう卓上のお茶をミーティアは口にする。 「エイトのことももちろんですけど、終えた時に皆さんがどう変わられるのかが、とっても楽しみ」 微笑みながら言うミーティアに、ゼシカも釣られて笑みを見せた。 どうにも涙が止まらないので泣き笑いの状態ではあったが。 「私も、楽しみになってきたかも…」 照れ笑いをするゼシカを見て、ミーティアは満足げに微笑んだ。 翌日。 何度目かの竜の試練を受ける為に、一行は竜神族の里から天の祭壇を目指していた。 エイトを先頭に、いつも通りの陣形で歩を進める。 (ほんと…ミーティア姫の言っていた通りだわ) ゼシカは自分の左側を付かず離れずの距離で歩くククールを見て、ミーティアの観察力に脱帽した。 移動中の何度目かの戦闘の後、ゼシカは試しにククールの左側に立ってみた。すると…。 「どうしたゼシカ?」 歩き始めてすぐククールに問われてしまった。 「えっ?別にどうもしないけど、何?」 ククールのあまりの反応の早さに驚いてしまったゼシカは、つとめて何でもないフリを装う。 「わりぃけど、そっちにいられるとなんか調子狂っちまう。いつも通りにこっちを歩いてくれよ」 そう言いながらククールはゼシカの肩に手を添え、ゼシカを自分の右側に移動させた。 「いつも通り…ね」 ゼシカは満足げに「いつも通り」という言葉を噛み締めた。嬉しさのあまり笑みがこぼれる。 「うふふ」 「なっ…何だよ?」 「何でもなーい」 ゼシカはクスクスと笑いながら再び歩き始めた。 「ミーティア姫にね、昨日言われたの」 歩きながらゼシカはククールに語り始めた。 「姫様が言うには、私はククールのブティのたまごなんだって」 ミーティアの話がすっかりお気に入りになってしまったゼシカは、ニコニコしながら得意げに話す。 それを聞いたククールは神妙な表情を浮かべ、沈黙してしまった。 (「何だそれ?」って聞いてくる?それともこのまま?どちらにしても、この話は姫様と私の秘密だけどね。ふふ…) 横目でククールの様子を観察しながら、ゼシカはその反応を楽しむつもりだった。 それで終わらせるつもりだったのだが……。 「参ったな…。姫様も上手い例えをするもんだ」 ククールはそう言いながら、右手で髪をぐしゃぐしゃとかき回した。 「えっ……」 今何て言った?と驚いてゼシカがククールを見やると、手に隠れていてその表情は伺えなかったが、耳が真っ赤になっていた。 (まさか……!!) 絶句するゼシカの顔は既に真っ赤に染まってしまっていた。 ククールは暫くの間黙っていたが、やがてゆっくりと話し始めた。 「それ…さ。ガキの頃、修道院でオルガンやらされた時に言われた…」 「うそ……知って…たん…だ」 動揺したゼシカはその一言を絞り出すのがやっとだった。 「プティのたまごは素敵な曲を弾く為に無くてはならない、壊れやすいだいじなたまご……だろ?」 こんな展開になろうとは、ミーティアも予想してはいなかっただろう。 運命の女神の気まぐれにも程があるというものだ。 「おーい、ゼシカ!ククール!ちょっと間隔あけすぎてるよ!!」 はるか前方からエイトが大声で呼び掛けてきた。 ゼシカとククールはハッとしてエイトを見、照れ笑いを交わした後に駆け出した。 「僕のわがままにみんなを付き合わせて悪いと思ってるけど、もう少しだけ頼むね」 済まなそうに言うエイトに、追い付いたククールはいつもの調子で応えた。 「おいおい、勘違いすんなよ。オレはお前の為に来てるんじゃねぇぜ?」 唖然とする三人にククールはにやりと笑って言い放った。 「オレがやりたいから来てるんだ。こんな機会、滅多にないだろ?」 「ククールらしい言い方でげすな」 そう言ってヤンガスが笑ったのを皮切りに、全員はその場で笑い出した。 「あとは、そうだな……これから素敵な曲を弾く為、かな」 「はぁ?」 ククールの言葉を受けて再び唖然とするエイトとヤンガスの脇で、ゼシカは一瞬驚いた後に微笑んだ。 さっきまでミーティアとの秘密の話の中の言葉だったはずのものが、いつの間にかククールとの秘密の言葉になっていた。 そういうのも、妙に心地のいいものだった。 いつもの青空が、より青く見えたのは気のせいだろうか。 水晶のように輝く不思議な階段を上りながら、ゼシカは思う。 これは、みんなの未来へと繋がる階段だ。 巨大な竜の頭蓋骨をくぐり抜けるところでククールは先に階段を数段飛び下り、振り向いた。 「お手をどうぞ、マイハニー」 「……バカ!」 そう言いながらもゼシカは、差し出されたククールの手に自らの手を委ねる。 見えないたまごの存在をその手に感じながら。 そして再びいつも通りの位置へと二人は戻る。 いつの間にか当たり前になっていた位置へ……。 一行はようやく頂上へと辿り着いた。 「みんな、今日もよろしく」 エイトが振り返り言うと、三人は不敵な笑みを浮かべて無言で頷く。 それは今まで幾度となく繰り返されてきた、強敵を前にした時の四人の英雄たちの儀式のようなものだった。 「さあ!行こうぜ!」 ククールの号令がその沈黙を破り、今日もまた天の祭壇の扉が開かれた。 ~ 終 ~
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ククールは聖地ゴルドの空を見上げていた。 断崖ギリギリの足下には底も見えないような深く暗い大穴が口を開いている。 破壊しつくされた町は夜気に覆われ、遠くから人々の声が聞こえる。おそらく今後の復興について、話し合っているのだろう。 ククールの周辺に人影はない―――たったひとり、数歩後ろに控えたゼシカを除いては。 しばらく彼をひとりにしておこう、とエイトたちは町の外に出ていった。 ゼシカもそれに従うべきだとは思ったが、その場を離れられなかった。そうして、何時間もふたり立ち尽くしていた。 「アイツさぁ」 不意にククールが声に出した。ゼシカの方を振り返りもせずに続ける。 「アイツ、本当に腹黒いし、イヤミだし、ムカつくし、手に負えない悪党なんだけどさ、すげー優しかったんだ最初は。」 「うん。」 強風が砂塵を巻き起こし、ゼシカの頬を叩いたが、構わずに彼の背中を見る。 「思っちまうんだよな。オレさえアイツの前に姿を現わさなければ、アイツ、人に尊敬される立派な聖職者になってたんじゃないかな。」 「わかんないよ。もしも、の話なんて。」 「アイツ・・・指輪投げてよこした。」 「そだね」 「どういう意味なのか考えてた。」 「わからないの?バカね。」 ククールはゼシカを見た。 「『無事でいろよ』って事よ。」 ゼシカは笑みを浮かべている。 「似てるよね。素直じゃないにも程があるわよ。」 ククールは急に肌寒さを覚えた。救う言葉。癒す言葉。 ―――ゼシカは本当にすごい女だ。 ゼシカに歩みを寄せる。 「抱きしめていい?」 ゼシカは何も言わずククールの胸にコツンと頭をあてた。 ククールはその体をそっと抱きよせた。 ゼシカは両手を回し、強く抱きかえした。 抱きしめてくれ、とゼシカにはそう聞こえたから。 ―――寒い夜だね。今日は。誰かの温もりが欲しくなる。 ふいにククールがくつくつと笑い、体を離した。 「ダメだ、刺激が強すぎる」 「・・・?」 ククールは、ちょいちょいと自分の胸を指差した。 「変な気持ちになっちまう」 「バッカ・・・!!アンタって人はこんな時まで・・・。」 赤面して慌てふためくゼシカが拳骨を振り上げる。 ククールはその手を軽く受けとめ、面を寄せて囁いた。 「行こう。ラプソーンが待ってる。」 いつもどおりの不遜な目があった。 ゼシカは不敵に笑い返し、二人は歩き出した。
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黒と静寂が世界を包む頃。 森の中に一際明るく、そして激しく辺りを照らす光があった。 光の破片は天へと昇り、ゆっくりと紺に溶け込む。 パチパチという音に合わせて柔らかく形を変える炎の周りには、野営の準備に勤しむ仲間の姿があった。 馴れた手つきでテントの骨組みを組み立てる青年が言った。 「遅くなってごめんね。どうしても今日中にこの地点までは着きたかったんだ。」 もう片方のテントの方が作業は進んでおり、骨組みに布を被せながらゼシカは言った。 「気にしないで。貴方のこと信頼してるから。」 「兄貴の言うことに間違いはないでがす。」 「あはは、ありがと。ゼシカ、ヤンちゃん」 作業を続けながらエイトはゆっくりと振り返る。 火に照らされながら気持ちよさそうに眠るミーティアと、馬車の中で大きな鼾をかいて眠るト ロデ王を見つめてぽつりと言った。 「…ミーティアと王様にも悪いことしたね。」 「そんなことあの二人は何とも思っちゃいないでがすよ。」 自分用のテントの仕上げに、布と地面を固定する。 きゅっと最後の紐を引っ張り、しっかり引き締まったのを確認すると、ずっと手元にあった視 線を上げてゼシカは言った。 「だいたいエイトは気にしすぎ………… って、あれ? …ククールは?」 てっきり居るものと思ったが、もう片方のテントを組み立てているのはエイトとヤンガスだけ であった。 「サボリじゃないでげすか?」 「明日飯抜きにしてやる」 初めての事ではなく、えらくあっけらかんと言い放つ仲間達。 ゼシカは呆れたように眉を寄せるとため息をついた。 「ちょっと探してくるわね。」 どうせそう遠くは行っていない。 ゼシカは草むらを掻き分け、風の吹く方へと歩いて行く。 生茂った木々の終わりを抜けると足場のよい場所へと出た。 崖状の、辺りの地形が見渡せる場所に、ククールは一人腰を降ろしていた。 「ちょっと、準備サボって何でこんな所にいるのよ?!」 「…見つかったか」 少しも悪怯れない様子で苦笑いをするククール。 真っ直ぐククールの方へ近づくゼシカは、そのまま強制連行するのかと思いきや、その隣にど っかり腰を下ろした。 「…不安、なんでしょ?」 「そういう訳じゃないさ。 ……まあ、そりゃ全く不安はないって言ったら嘘になるけど。」 「うん。きっと、みんな同じ気持ち。 もう、誰が死ぬのも見たくないもの…。」 …海峡の街であった出来事や、遥か雪国であった出来事。 少しの沈黙の間、二人はそれぞれ想いを廻らせた。 「…ねえ、祈ってよ。」 初めにそう切り出したのはゼシカだった。 「はあ?」 「あんた、仮にも僧侶でしょ? だから」 「生憎とオレはあんまりカミサマなんざ信じちゃいないんだがな。」 軽くため息混じりに吐き出す。 「私もよく分からなかったけど……今は、ちょっとだけ、いるんじゃないかって思うわ。 私達が出会ったのも、暗黒神とか何とかを封印しに行くのだって、運命だったんじゃない かって。」 「ゼシカは幸せに育ったんだな。」 ククールのその言葉が皮肉に聞こえ、ゼシカは思わずムッとする。 「神様……か」 いつものふざけた表情とは違い、いつになく真面目な顔で語りだす。 「オレは今までいろんな奴を見てきた。 ―歪んでいる人間ほど、全てを手にして幸せになっていくものさ。 その裏では毎日食ってくのに精一杯な、マトモな人間だっている。 …そんな奴らを見てると、とてもこの世に神様がいるなんて思えないね。」 ククールは一息つき、視線を遠くに移して、言葉を続けた。 「……所詮世界ってのはそんなもんなんだ。 例えば、オレみたいな人間が居なくなったって初めから居なかったかのように、何も変わ らず世界は廻り続けるのさ。」 ゼシカが見てきたものと、ククールの見てきたものは違う。 そしてゼシカはきっと限られた世界の中で、幸せに育ってきたのだろう。 それ故妙に説得力を帯びていた言葉も、やはり最後だけは引っかかった。 「…それ、本気で言ってるの?」 怒鳴りつけてやろうと思った。 ククールとって、ゼシカ達は所詮それだけの存在だったのだ。 一体どれほどの時間を共有したのだろう。 生きてきた時間に比べればほんの短い間だけれど、ゼシカにとって、それは仲間と呼べる関係 になるには十分な時間だった。 そう思っていた。 きっと、エイトやヤンガス、トロデやミーティアも同じ気持ちだろう。 それなのに、ククールにとってはそうではなかったのだ。 居ても居なくとも変わらない存在なんて仲間と呼べるはずはない。 ククールにとって自分達は一体何なのだろう? そう思うと腹が立って仕方がなかった。 「…っ」 しかし、言葉より先に出たのは頬を伝う雫だった。 「………え?」 気付いたククールは目を見開いた。 涙は頬を落ちてスカートを濡らす。 …時々、遠くを見ているような、どこか寂しそうにする眼をゼシカは知っていた。 ククールがふいに何処かへ行ってしまいそうになるような感覚も。 彼の本心に触れた今、己が抱えていた不安の正体を知ってしまったのだ。 一滴落ちてしまえば止まらなくなり、次々に溢れ出す感情の形を、ゼシカは手で抑えることし かできなかった。 いつも気丈なゼシカが泣いていて、そして泣かせたのは自分かもしれない。 自分が何をしたかと必死に頭を廻らせるが、焦りと動揺で上手く思い出せない。 すすり泣く声が一層ククールを追い詰める。 「わ、悪い! 別にゼシカを否定したり、そういうつもりは…」 咄嗟に言葉を紡ぐが、それでもゼシカが泣き止む気配はない。 それどころかククールの声は全く届いてないように思われた。 「た、頼むから、泣き止んでくれ…」 そっとゼシカの髪を撫でる。 女を宥める時の条件反射のようなもので、ゼシカを包もうと腕を伸ばしたその時だった。 「何? どうしたの」 後ろの草陰から姿を現したのはエイトだった。 野営の準備が終わったので二人を探しにきたのだ。 途中ゼシカのすすり泣く声を聞いたのだろうか、少し慌て驚いた様子でククールとゼシカを同 時に見た。 (助かった…) ゼシカの親友であるエイトなら、彼女を任せるには打って付けだろう。 ククールはエイトに助けを求めようとするが、既にエイトはククールのことなど眼中になく、 その視線はある一点に集中していた。 呆然とゼシカを見つめた後、一瞬鋭い視線がククールを襲ったのは気のせいだったか にこやかな表情で問い掛けた。 「……ククール? ゼシカに何したの?」 そう聞くも、どうやら自身の中では確かな答えを出しているようだ。 表情とは裏腹に紫のオーラと殺気が身を纏う。 クールは生命の危険を感じた。 (ぜってー何か誤解してる!) 「いや、オレは何も…」 ゼシカに弁護を頼もうと見やるも、溢れる涙を手で拭うので精一杯で、全く状況を把握できて いなかった。 「…嫌がるゼシカに無理矢理一体何をしたの?」 「だから何もしてねえって!」 「女の子にムリヤリ手を出すなんて最低だよ!!」 エイトの抜いた剣が光り輝く。 天に掲げた剣から鋭い閃光が駆け抜けた。 「いや~、そんなことだろうと思ったんだよね。いくら節操無しのククールでも仲間を無理矢 理、なんてさ。」 テントの中で、治療を終えた青年が呑気な声をあげた。 「お前…、人を殺しかけといてよくぬけぬけと…」 実際、ゼシカがあと一歩のところでエイトを止めてくれていなかったら今ごろククールは 棺桶の中だっただろう。 もしもゼシカがいなかったら……想像しただけで背筋が凍った。 「ベホマかけてやったんだからいいじゃん」 「そうでがす。プラマイゼロでがす。」 「お前らね」 死ななかったからよかったものの、やはり何だか腑に落ちない。 「…クソ。 馬姫さんに言いつけてやる。」 「姫はクックルのアホの言うことなんて信じませんー」 意地悪く吐いた後、取って代わって少し真面目な顔つきでエイトは言葉を続けた。 「それに、ゼシカを泣かせたのは本当なんだろ? 早く行ってきなよ。 …ゼシカには、今日の見張りは僕達でするからゆっくり休んでって言っておいたから。」 「まったく女を泣かせるなんて最低でがす!」 「そうは言っても心当たりないんだがな…」 首の後ろを掻きながら考えるが、やはり心当たりはない。 ククールにとってあの言葉はそれほど深い意味はなかったのだ。 「ククールってさ、結構鈍感だよね。」 「うわー、お前には言われたくねー…」 「とにかくさ、何があったかは知らないけど、当たって砕けてきなよ」 「砕けてはこねえよ」 「ごちゃごちゃ言ってないでさっさと行くでがす」 「言われなくても行くよ、馬鹿」 仲間に促されてククールは重い足取りでテントを出た。 (まあ女を泣かせたままにするのも男が廃る) 焚火跡を挟んで対極側にもう一つ小さなテントがある。 ククールは近づき、テント越しに話し掛けた。 「…あー…あー…、なんだかよく分からんが一応謝っておく、悪かった。」 「………。」 灯りは点いていなかったが、確かにゼシカが起きている気配はあった。 ククールは多少気不味さを感じながらも、静かにゼシカの言葉を待った。 「…本気でそう思ってるの?」 そう話すゼシカの声は、至って落ち着いた、少し低い声色だった。 「…………あ?」 「さっきの、続き。 …あんたが昔どんなだったかは知らない。 だけど、今も、私たちと一緒に旅をするようになった今だって、あんたは自分が居なくて も、私たちが心配…………か、悲しまないとか、思ってるの? 何も変わらないって、 そう思ってるの?」 「………。」 「ふざけないでよ。 ……あんただって死なせない。絶対全員生きて帰るんだから。」 ゼシカの一言一言が深く響く。 「あんたにとって私たちって何なの。仲間じゃ…ないの?」 テント越しに、言葉を交わす。 お互い顔は見えなかった。 「…なんとか言いなさいよ。」 「……『私達』なんだ? 『私』じゃなくて?」 低く、静かにククールは言った。 笑いを含んだその言葉には、少しだけいつもの調子が戻っていた。 「『私も、みんな』、よ!」 「そっか。…ゼシカはオレに居てほしいんだ?」 「だから『私やみんな』だってば!」 茶化した風に言う言葉の裏で、必要とされることが嬉しいことだったと、ククールは初めて知 った気がした。 「…ゼシカ。出て来いよ。」 「嫌よ。寒いから。あんたが入ってきなさいよ。」 「そんなこと言っちゃっていいの? オレ、男だぜ?」 「変なことしたら大声でエイトとヤンガス呼ぶからいいわよ。 ギガスラッシュと烈風獣神斬で今度こそ棺桶行きね。」 「…冗談だよ」 テントの出入り口である布を軽く捲り上げると、ククールは中を覗き込んだ。 そのすぐ傍に居たゼシカもククールを見上げる。 そんなに時間が経ってるわけではないのに、お互い顔を見るのはひどく久しぶりな気がした。 「元気そうな顔見て、安心した。」 ククールが本当に安心したように柔らかく微笑むものだから思わず吹き出してしまう。 「ふ。何よ、それ。」 そう言って、つられたように微笑むゼシカの顔は、すっかりいつもの顔だった。 自分の中にくすぐったい気持ちを感じながらククールはそっと自分の方へゼシカを抱き寄せた。 何とはなしに、いつもの不真面目なククールとは違う気がした。 そして、今のククールが本当の姿のような気がしたから、ゼシカもまた、振りほどけないでいた。 ただただ自分の顔が染まっていくのを感じていた。 捲れた布の隙間から、そよそよと心地よい外気が流れる。 それはククールの背中越しに、ゼシカの前髪を小さく揺らした。 ククールは俯けた頭を、そのままゼシカの肩に軽く乗せた。 「ゼシカに会えて、よかった。」 肩に置いた頭を持ち上げて、額に持っていき、そっと唇を置く。 柔らかく、暖かい感触がゼシカに伝わった。 「あ、あんたねえっ 調子に乗りすぎよ!」 顔を真っ赤にしたゼシカはククールを振り払うと、拗ねたように背中を向けた。 サイテー、信じらんない、とぶつぶつ怒るゼシカに、ククールは目を細めて愛しそうに微笑んだ。 ――かつて、世界は閉じられていた。 欲しいものは手に入らなくって、いつだって、手を伸ばしても遠ざかっていくだけで。 仲間を仲間だと思っていない訳ではなかった。 実際、救われた部分も沢山あることを自覚している。 一緒に旅をするようになって新しく見えてきたものだって数え切れないほどある。 ただ、何度呼んだって、振り返ることのない背中を知ってるから。 苦しい感情から逃げ出したくて、何も求めず生きようとした時期もあったから。 なかなかそういったことを現在と結び付けられずにいたのだ。 (けど、そうだな、今は――) 「ゼシカ」 「なによ?」 不機嫌そうに眉を上げて。それでも振り返ってくれる君がいるから。 「また明日、おやすみ」 捨てたものじゃないな、と、ククールはそう思った。 「……おやすみ」 ゼシカは捲り上げた布の合間から、去って行くククールの姿を見つめて言った。 ククールがテントに戻ったのを確認すると、緊張の糸が切れたように体重全てを預けてころん と横になった。 まだ、顔が暖かい。 (眠れるかな……) 「…合意ならいいんだよ、僕は。別に。」 テントに戻ったククールが、目を逸らしながら何処か詰まらなそうに言うエイトと、ニヤニヤ しているヤンガスに、動揺と気恥ずかしさを覚えたのはゼシカが知らない話。
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(…何でかしら?上手いんだけど、どこか…変?) ゼシカは夕食に使うイモの皮を剥きながら、目の前で同じ作業をするククールの様子を見てはそんなことを考えていた。 ククールが一行に合流したのは、つい先日のことだった。 黙々と慣れた手つきでイモの皮を剥いているその姿は、ドニの町での一連のドタバタで抱いた軽薄な第一印象とはいささか違う感じがする。 育ての親だったオディロ院長を失って間もないからだろうか? あるいは「赤の他人」から「仲間」となった自分たちとの接し方を模索中なのだろうか? 「…ん?何か?」 時折向けられるゼシカの視線に気付いたククールは手を休め、その顔を上げた。 「あ…皮剥くの上手いなーって思ってたの。でも…」 その先の「どこか変」という言葉を言っていいものかと躊躇ったゼシカは言葉を飲み込む。 「でも?」 ククールのまっすぐな蒼の瞳に射抜かれたゼシカは、その躊躇いも手伝って反射的に目を逸らし、意図せず自分の手元を見る形となった。 「あっ!」 ゼシカは思わず声をあげ、再びククールを見た。そして自分の手元と見比べる。 「そっか、違和感があるわけよね。左手でナイフ使ってるから」 「ああ、そういうことか」 フッ、と軽く笑った後、ククールはその手のナイフをくるりと回転させた。 「よく言われるよ。「珍しい」とか「変な感じ」とか「器用だ」とか。そう思ったかい?」 ゼシカは「違和感」などと口走ったことを軽卒だったと後悔した。 三つもの具体的な形容を即座に返してきたククール。 その顔に浮かんでいたものは、苦笑。 きっと過去に幾度となく同様の言われ方をしてきたのだろう。 そしてそれは、あまりいい記憶ではないように感じられた。 「身近に左利きの人はいなかったからね。…気に障ったのなら、ごめん」 「別に謝らなくてもいいけど?実際、メタルスライムを見かけるくらいには珍しいんだろうし」 ククールはそう言うと、何事も無かったかのようにイモの皮剥きを再開した。 「ねぇ…左利きで困ったことってある?」 暫しの沈黙の後、ゼシカはククールに問い掛けた。 これといった話題が無いのと興味とが半々の割合、といった感じだろうか。 先程のように、知らずに相手を傷つけかねない状況を少なくしよう、とも思っていた。 好むと好まざるとに関わらず、ククールはこの先しばらくの間は毎日を共に過ごす仲間となったのだから。 「困ったことか。うーん…。草刈りは苦手だったな」 「草刈り?」 どんな話でも予測できるものでは無かっただろうが、そのあまりに意外すぎる答えにゼシカは呆気に取られてしまった。 「草刈り鎌がさ。あれ、左手じゃ使えねえんだ」 草刈り鎌は片刃で、手前やや上方に引くことで作業をする道具だ。 左手で持つと刃が上下逆になり、その結果手前やや下方に引かないと同じ作業はできない、と、ククールは身ぶり手ぶりを交えて説明をした。 「へえぇ。それって右利きだと分からないわね」 「だろ?それで「お前はなんてヘタなんだ」なんて言われた日にゃブチ切れよ?」 ククールのおどけた言い方に、ゼシカは思わず噴き出してしまった。 「あと、タマゴ型のレードルも使い辛いから嫌いだな」 そう言いながら、脇に置いてある鍋に突っ込まれていたレードルを取り出す。 「こういう丸いのならいいんだけど」 ククールはゼシカの目の前でレードルを左右に振り、鍋に戻した。 「剣と弓は、習った時に特に苦労した記憶はないね」 「えっ?そうなの?」 その二つは苦労したのではないか、と考えていたゼシカは驚く。 そして続くククールの言葉に更に驚かされた。 「むしろ他の奴らより楽だったかもな。対面状態だとオレは教官を鏡にできるからさ」 「鏡にできる…って?」 もう何が何だかゼシカには分からなくなってしまっていた。 そんなゼシカの様子を見て取ったククールは、ゼシカと正対する形に向き直って話を続けた。 「ゼシカが生徒でオレが教官だとするだろ?で、オレの動作をそのまま右手で真似してみな」 ククールはそう言うと、ナイフを持った左手を真上に上げた。 「これでいい?」 ゼシカがそれに倣って右手を真上に上げたのを見届け頷いた後、ククールは自らの右手の方向に斜めの線を描くように左手をゆっくりと振り下ろす。 ゼシカはその一瞬後に自分の左手に向かって右手で斜めの線を描いた。 「向かい合って構えを教わる時、相手と利き手が違う場合は今みたいに鏡を見る感覚でできるわけさ」 頭から足先まで、全身を映せるほど大きな鏡をゼシカは見たことがない。 そのような大きさの鏡は造るのが難しいためにとても高価で、一般には出回っていないからだ。 なるほど、相手の動作を真似る場合に、この疑似体験ほど有利な状況はおそらく無いだろう。 「ほんと…今のだと考え方が楽ね」 「だろ?たまには少し得した感じになるんだ」 いつの間にかゼシカは、ククールが次から次へと語る未知の話に夢中になっていた。 「武器の中であれだけはダメだな。ブーメラン」 「どうして?」 ゼシカはエイトの背負っていたブーメランを思い出す。 エイトのブーメランは持ち手側に布だか皮だかが巻かれていたが、左手で使う場合はそれを左右巻き替えればいいのではないか?などと考えていた。 「ブーメランは片側の羽だけ少し削ってるんだ。そうしておかないと投げた時戻ってこない」 「へえぇ。あれって左右同じ形だとばっかり思ってたわ」 「逆側を削って作ればオレでも使えるようになるけど、問題はその先にあるんだ」 ククールは一旦そこで言葉を切り、ゼシカに視線を投げ掛けた。 「どんな問題だか分かるかい?」 「問題……?」 ゼシカはそう呟くと俯き、真剣に考え始める。既にその手は止まっていた。 その様子を見たククールの口許が、ほんの僅かばかり釣り上がる。 (やっぱり。疑問を抱いたら没頭するタイプ…だな) 「どう?分かった?」 ククールは頃合いを見計らってゼシカに答えを促す。 ゼシカは若干の口惜しさが漂う表情を浮かべ、上目遣いでククールを見ながら言った。 「……ヒント、ちょうだい」 「プッ…」 その仕草と発想があまりに可愛らしく思えたククールは、不覚にも噴き出してしまった。 そんなククールを見て、ゼシカは抗議まじりに話を続ける。 「笑わなくてもいいじゃない!ブーメランのこと全然知らなかったんだから」 「悪い悪い。ヒントか。そうだな……」 ククールは暫く考えてからこう言った。 「エイトのブーメランでは簡単に出来て、オレのブーメランではやり辛いことがある。これがヒント」 「うーん……」 ヒントを与えられたゼシカは、ますます深く悩む状態になってしまった。 「なあ、ゼシカ…」 ククールは暫くゼシカの様子を黙って見守っていたが、やがて意を決したように呼び掛けた。 ゼシカはハッとして顔を上げる。 「答えは言わないでおくからさ。とりあえず今はこいつをやっつけようぜ?」 そう言いながらククールは、手にしていた剥きかけのイモを宙に舞わせた。 「あっ!…あはは。そうね、急がないと」 ゼシカは照れ笑いをした後、慌てて皮剥きを再開した。 遅れを取り戻すべく黙々と作業をして食材を入れた鍋を火にかけた後、レードルで鍋の中の灰汁を取り除きながらゼシカはぽつりと呟いた。 「鏡に映したものを取り出せる魔法があったらいいわよね」 「は?」 その突拍子も無いゼシカの発想に、ククールは咄嗟に言葉を返せず呆然としてしまった。 「やだっ!あんたまた笑うわね!?」 ククールの表情を見て、呆れられたかと思ったゼシカは頬を染めて身構える。 しかしククールは呆然としたままゼシカを見つめ続け、ようやく口を開いた。 「いや、そういう言い方されるのは初めてでさ。……驚いてた」 そして微かな笑みをこぼした。 それは苦笑でも失笑でもなく、純粋な微笑みだった。 (そうだな。本当にそんな魔法があるといいよな……) 照れくさくてとても口にすることは出来なかったが、ゼシカのその無邪気な気遣いをククールは心底嬉しく思うのだった。 結局ブーメラン問題は翌日に持ち越され、ゼシカの思考は泥沼化してしまっていた。 一行はアスカンタ城に辿り着いたものの、国中が服喪中であったためにこれといった目新しい情報を得ることができず、その城下で店を物色しながら今後の相談をすることにした。 そんな中、答えは思わぬ形で突如もたらされることとなる。 「あっ!これ欲しいな、やいばのブーメラン。1360ゴールドかぁ…」 エイトは武器屋の前で立ち止まり、背負っていたハイブーメランを店主に見せて話を続ける。 「すいません。これ、いくらで引き取って貰え…」 「あ~~~~~っ!!!」 町中に響き渡ったゼシカの絶叫に、店主とエイトとヤンガスは驚き一斉にゼシカを見た。 三人の視線を浴びたゼシカは両手で自分の口を覆い、真っ赤になりながら謝罪をする。 その様子を後ろで見ていたククールは、堪らずに大笑いを始めた。 事情を知らないエイトとヤンガスは、一体何故笑うのかと目を白黒させる。 逃げるようにしてゼシカは笑い続けるククールの側へと歩み寄り、がっくりと項垂れながら言った。 「……やり辛いことって、下取りだったのね」 ~ 終 ~
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チクッ 不意に下腹部に感じた痛みでゼシカは目を覚ました。 煉獄島に幽閉され二週間が経とうとしたある日のことだった。 「もしかするともしかしてるわね…ひぃふぅみぃ…、やっぱり」計算してみると、間違いなかった。 来ると思っていたが、こうも日付感覚の欠落した場所にいると忘れてしまうのだ。 ふと、月のものをすっかり忘れていた自分がとても怖くなってきた。 このまま少しずつ神経が衰弱して、そのうち自分がアルバート家のゼシカだということも、 ラプソーンを討伐する為に旅をしていることも、ここがどこなのかも認識できなくなるのではないか。 それはありえないけれど、もしかしたらそうなるかもしれない。 ゼシカはどこまでも抜けられない底なしの不安のようなものに襲われていた。 とにかく、月のもの特有の憂鬱な、陰鬱な気分だった。 丁度時間だったようで、遠くから鎖の擦れる音、空気の振動が聞こえる。 少しだけゼシカの寄りかかった柵が振動し、伸ばした足先の水溜りも波紋が広がっている。 「もうこんな時間なのね」今から看守が交代するようだ。 籠の落下と共に少しだけ新鮮な空気が、地底のぬるりと湿った空気と入り混じる。 この牢屋は太陽の光も新鮮な空気も得られない、無条件で得られるはずのものが得られない場所なのである。 (少しだけ、おなか減った…)ゼシカは食事を貰いに行くことにする。 食事は野宿のために用意していた保存食で賄っている。 4人とニノは寝起きの時間を少しずつズラし(ひどい話だが、他の囚人に盗まれないように)食料を見張ることにしていた。 今の時間はククールが番をしている。 目当ての相手は隅で一人座って剣を磨いていた。 「おはよ、ククール」ゼシカは正面に立つ。 「おはよう、起きるのちょっと早いんじゃないか?」ゼシカを見上げてから、手入れを止めククールは道具を傍に置いた。 「目が覚めちゃって…隣いい?」ゼシカがそう言うと、ククールは隣に置いた袋をどける。 「そうそう。これ、今日の食事な」袋から出したのはビスケットだった。 「ありがと」ハンカチでそれを受け止め、隣に腰を下ろした。 「うん?なんか顔色悪いぜ、しっかり食えよ?」怪訝そうな顔でククールが言う。 「ううん、大丈夫だから心配しなくていいわ。ほらぁ、ここって空気悪いから気分悪くなるのよ」 少しだけゼシカは笑い、髪を耳にかける。 「そんなことより!ここに来てからもう二週間になるね」なんとなく話題を誤魔化したようになってしまった。 気が付いただろうか?そう考えると少し頭と腰が重くなってきたような気がする。 「ああ、こうしている間に地上じゃあ何が起きてるやら…心配だぜ、一応だけどな」 すました顔でククールが言った、彼がこういう表情のときは結構真剣である。 ゼシカはふっと自分たちの置かれた状況を哀れむ気分になる。 「うん、どうなっちゃうんだろうね、地上も、私たちも」膝に置いた手で頬杖を付きながら、なんとなく不安になる。 「…それは神のみぞ知るって奴なんじゃないか? 少なくとも俺たちが行動を起こすにも何もきっかけはないしな」たっぷりと間を空けてククールが喋った。 きっかけがなければ何もできない?何を言っているのだろうかこの男は。 そんな受動的な態度に少しイラついてきた。 「確かにそうだけど…、どうしてそんな悠長なの?これは自分たちの事なのよ? いつまでも受身でいたって、私ここは抜けられないと思うけど?!」 「ゼシカ。何怒ってるんだよ、俺が受身なのはいつものことだぜ?」 口元だけ笑い、なだめる様に肩に触れようと手を伸ばす。 「んもう、触んないでよね!」ククールを少し睨む。 ゼシカは避けようと、地面に片手を置き重心を少しずらした。 すると不意にじんじんと痛む。今から本格的な波が襲うことをゼシカは予感した。 「レディーは今日はユウツな気分のようで。こりゃまいったね…」宙に浮いた手を滑らかに引っ込めた。 「んーなあゼシカ、ここ寒くないか?」思いついたようにそう言うと、ククールはマントを外した。 「まあちょっとね」その肩にふわりとマントが掛かる。 「あら…どうも」ククールを一瞥して視線をそらす。 「当然だろ?」ククールは口元で笑って、少しだけ首をかしげる。 「え?」 「具合の悪いレディーに対しては当然だろ、ってこと」少し焦る。 「…いつから気付いてたの?」 「俺は女性の事なら大抵なんでも知ってるんだぜ」茶化すように言った。 「バカ」 「そうだ、温めてあげようか?」 ククールはこの胸に飛び込めと言わんばかりに両手を開く。 「バーカ!」ゼシカは赤い舌を出した。 「大丈夫、何もしねぇよ。かれこれ丸一日近く起きてるし」 「えっ?それほんと」少し驚いた。 「ホントだよ、あのニノのおっちゃんがなかなか起きてくれなくてさ」 ククールが指差した先に、ニノがいびきをかいて寝ている。 「だから寝ずの番してたって訳。ゼシカが早起きしてくれて助かってたんだぜ?」 「そうだったの…」 「俺もう限界だし、寝てる間なら俺で暖とってもいいよってこと」 「まあ、確かに寝てるなら安心だけど…」 ちらりと見たククールの顔は、隅の方で暗いからわからなかったがそれなりに寝不足がにじんでいた。 「それに恒温動物だから寝てるほうが暖かいし」ククールはそう言って唇を曲げる。 ゼシカはくクールの目がとろんとしているのに気付いた。 「アンタ、寝たほうがいいわよ」少しだけ心配になる。 「つうか、ほんと、もうそろそろキツいんだ…ごめん」ククールは目を閉じる。 「うん、おやすみ」ゼシカが言っても、返事は返ってこなかった。 「まったく、無茶して…」とりあえず出しっぱなしの剣を鞘に納め、袋の口もしっかり閉めた。 腰は重たいが、まだなんとか耐えられる。でも立ち続けるのはちょっと… そんなゼシカの目に入ったのは、立膝で座ったまま寝ているククール。 だらりと垂れ下がった手を掴むと、ゼシカの手よりずっと暖かい。 「…ちょっと、本気にしてみようかしらね」少し、ゼシカの喉が鳴る。 両膝の間に収まるように、座り込む。確かにこれなら一人より大分暖かい。 背中の辺りに手が当たるのがちょっとむず痒くて、ゼシカはその邪魔な腕をちょっと持ち上げた。 どこに添えようか考えて、自分のお腹の上で交差することにする。 ククールはよく眠っているようだし、大丈夫だろうと思ったのだ。 それに、痛みは立つのがつらい波に差し掛かっていた所だった。 「痛、うぅ…」ゼシカが小声で呻く。 ニノはまだ起きる気配はない。 「なんで今日はこんなに痛いのかな…あああ」 そういえば昨日ゼシカが眠り始めたとき、まだ彼は起きていたことを思い出す。 「つー」 何度目かの波で、鼻の頭に汗をかいていることに気付く。 ゼシカはそれを手の甲で拭い、姿勢を一度正した。 すると、背中にしていた物がもぞっと動いた。 「…ぁーれ…ゼシカ?何してる…だ…」枯れた声のククール。 ゼシカの体を抱きしめるようになっていた手に、無意識に感覚が集中する。 「え、どうしたこれ」記憶はないが、普段触れることのない細身の腰に両手が掛かっている。 「ちょっと、やっぱり、キツくって」ククールの方を向いた顔は、血色が悪い。 数時間前、眠りの縁に落ちる前の(といっても実は意識は半分朦朧としていたが)顔色よりずっと悪い。 「寒いのよね、さっきから」頬からは血の気が引いている。 「だから俺はこんな状態なんだな、了解」やっと、おぼろげに輪郭が思い出せてきた。 暖を取っていいやらなんやら、ちょっとバカなことを言ったような気がする。 それを本気にしてくれたゼシカは、素直で、ちょっと可愛い。 「手を出したらマダンテ…」ゼシカはリブルアーチのときのように眉間にしわを寄せている。 「わかってらい」 「も一度寝てよ、落ち着かないから…」少し甘えるような声で、ゼシカがささやく。 「わかった、おやすみ」こんな状態で寝られるわけがない。 「ええ、おやすみ…」ゼシカはため息をついて、プイと正面を向いてしまった。 白いうなじが気になるし、手も意識し始めたら途端に動かしたくなってくる。 しかし、動いた途端に培った信用を失うのも惜しい。 するりと動くゼシカの背中も、小さなうめく声も危険だ。 さて、どうしようか。 エイトは目を覚ました。 うつ伏せになるように眠っていて、枕代わりにしていたせいかすこし腕が痛い。 「ん…あれ」腹ばいのまま軽く顔を上げると、ゼシカとククールがくっついている。 「え」そのまま腕立て伏せの要領で上体が起きる。 「あらエイト、おはよう」ゼシカはにっこり笑った。 「おはよう、どうしたの?」エイトは怪訝そうな顔でゼシカの後ろの彼に目を向ける。 「違うの。これはね、この状況だと誤解されるかもしれないけれど、それはエイトの大きな誤解なの。 不可抗力って言うの。これはね、体を許したとかそういうのじゃなくて、別に毛布みたいなものなの。 エイトが考えたようなことではないの。違うのよ。断じて違う」 冷静な声で、早口でゼシカが言い切った。 「あぁ、そうなの…」エイトは唖然としている。 少し嬉しそうに眠っている(ように見えるが実際はどうかわからない)ククールを見つめながら。 ───終幕 イメージイラスト
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ゼシカに想いを告げて、それにゼシカが応えてくれて…、そしてその後すぐに2人の新たな関係による甘い生活が始まるはずだった。俺が魔物に呪いをかけられ猫の姿になってからあっという間に2ヶ月程経った。かつて一緒に旅をした一風変わった外見の王と姫君がかけられていたような強力な呪いではない。雑魚モンスターに油断しているところをやられちまったんだ、俺としたことが。本当ならこんな呪いとっくに解いて真っ先にゼシカに会いに行っているはずだった。 と こ ろ が だ。俺は事態を甘く見すぎていた。通常なら裏の世界とも流通している酒場などをさくさく回ってちょいちょいっと情報収集、この程度の呪いなんて3日もあればスッキリおさらばしていたところだろう。だけどこの姿になってまず参ったことは 「ニャ~」しか喋れねえ!!!当然呪文も使えない。猫の手ってのは思いのほか不便なもので、物もちゃんと掴むこともできないし字を書くことだってできやしない。1度インクを直接手につけてそのまま紙に文字を書こうとしたら、不思議な事に古代文明の絵文字をふやけさせた様な文字しか書けなくなっていた。歪な魚に虫に鳥のような形のものが、紙の上に羅列されていく。これは所謂猫文字というやつか?せっかく磨いたレイピアの腕も今はスキル0よりも酷い状態だ。そもそも剣が持てないからな。俺は他人に己の状況を伝達する手段を失ってしまった。まさか壮絶な呪い主と戦い撃ち滅ぼした事もある身で、それに遥かに劣る微弱な呪いによってこんなに苦労するはめになるとはな。馬の姿に変えられた姫君。それよりももっと酷い化け物の姿に変えられた王様。思えばその時は城全体が大規模な呪いをかけられ、化け物の姿になっていてもトロデ王は人語を話せ、事情を全て知っている付き人のエイトが一緒にいたわけだ。今の俺は誰から見てもただの猫でしかなく、そして俺が呪いでこんな事になっているのなんて俺しかしらない。はっきり言って絶望的だった。それでもとりあえずなんとか呪いを解こうと、猫の姿のままで色々と奮闘してみたものだ。呪いを解く方法を探すために様々な場所に赴いた。ルーラが使えない状態での町巡りは想像以上にきつく何度も音を上げそうになったが、その度に俺の気持ちを受け入れてくれた時のゼシカの姿が浮かんできて俺を奮い立たせた。熱っぽく揺らめく瞳いっぱいに溜めた涙を溢れさせないように堪えながら、「うれしい」と微笑んでくれたゼシカ。その瞬間のゼシカが今まで見てきた中で1番綺麗に見え、胸が熱くなった。まっすぐ向けられた飾り気のない笑顔が、これほどまでに心を震わすものだったなんて始めて知った。──待っててくれゼシカ。絶対にこの間抜けな呪いを解いてお前のことを迎えにいくから。そう決心を固め僅かでも弱気になった己を叱咤する。それの繰り返しだった。猫の姿だと魔物が襲ってこないから、戦闘せずにいられた事がせめてもの救いだったね。呪いが解けるまでゼシカとは会わないつもりでいた。例え会ったところで、猫の正体が俺である事を知らせる術がないからな。だけど港でポルトリンクに向かう船を見つけた時にいても経ってもいられなくなった。思わず船の積荷の影に隠れ船の中に忍び込み、船がその地へ着くのを待っていた。──そうだ、一目見るだけでいい。ゼシカの姿を一目だけ。 そしたらまた呪いを解くための旅に戻ろう。 ポルトリンクに着いたらリーザス村まで走って、そこで何一つ変わりないゼシカの姿を遠目に見届けてるだけ。船の中で身を潜めている間ずっと自分に言い聞かせていた。船がポルトリンクにつき陸地に降り立った時、俺は目を疑った。船着場のベンチに座るよく見知った姿。ゼシカが、なぜここに。船から降りてくる乗客一人一人を確認するように動く視線。誰かを待っている?…俺を…?いや、ゼシカは俺が会いに行くときはルーラで直接村に行くと思っている。ポルトリンクに着いた船から俺が降りてくるなんて考えたりしないはずだ。だったらこんなところで、誰を待っている…?ぎくりと心臓が跳ねた。一瞬ゼシカの瞳に光る雫が見えた気がした。だけどそれは気のせいで、ゼシカは涙を浮かべてなどいなかった。それでも切なげな表情は今にも泣き出しそうに見え、どこか痛々しかった。ゼシカがおもむろに俯きぎゅっと手を握り締める様子が目に入ってきた。「…ナーン」「…あら…猫」気がついたらゼシカの足元に擦り寄り、鳴いていた。寂しそうな笑顔を浮かべ俺を抱き上げたゼシカが暫く猫の俺を凝視する。どこか遠い目をしたまま唇が、「ククール…」俺の名前を紡いだ。ああ、やっぱり俺の事を待っていたんだ。ゼシカはここで、ルーラでいとも簡単にリーザス村まで飛んでこれるはずの俺をずっと、ポルトリンクでたった一人で待ち続けてくれていたんだ。「ニャーゴ…」そうだよ、ゼシカ。俺だよ。待たせてごめん、ゼシカ。俺、ククールだ。ゼシカの元に来たんだ。約束通りとはいえないけど、時間かかったけど、こんな姿だけど、戻ってきたんだ、ゼシカ。俺の前だと泣くのをぐっと堪える事が多かったゼシカの頬に、一筋の涙が伝った。「…びっくりした…。あなた…ククールみたいだわ。 まったく…私も重症ね。あいつのせいでいい迷惑だわ」違う、俺がククールなんだよ。泣かないで、ゼシカ。泣くな。本当なら今すぐゼシカを思いっきり抱きしめて、その涙を拭ってやりたいのに。あまりの歯痒さにどうにかなってしまいそうだ。俺はここにいるのに。伝わらない。俺が猫なんかになってしまったばかりに。何もできない。ただゼシカを泣かせる事しかできない。ゼシカ、ごめん…俺、君だけを守る騎士失格だ…。俺は本気で馬鹿なのかもしれない。ゼシカに猫の俺の存在を認識させてしまった。ゼシカは猫の俺に“クク”という呼び名をつけて、しきりに「ククールみたい」と笑う。ある夜、ゼシカが夢に魘され目を覚ました時に、胸元に眠る俺を見て抱きしめながら安心したように息を吐いた事がある。「ね…、ククは…ククールみたいに突然いなくなったり…しなよね?」か細い声で呟いた言葉に俺は答える事ができなかった。代わりにゼシカの頬をそっと舐めた。“ククール”を失い不安定な状態のゼシカが、今度は“クク”を失ったらどうなってしまうんだろう…。人間に戻るまでゼシカに会わないと決めていたのに、我慢できずに中途半端に関わってしまった自分を俺自身が呪ってやりたい。もっともっと強力で、強烈な呪いで。ゼシカが“ククール”の事を想って泣く度に俺は心臓がつぶれてしまうんじゃないかというくらいに胸が締め付けられた。知らなかった。ゼシカって泣き虫だったんだな。俺が一緒に旅している間何があっても全く泣かなかったゼシカが、“クク”である俺の前だどこんな風に泣くのか。今までどれだけ一人で耐えてきたのだろう。俺はどれだけゼシカをたった一人で泣かせてしまっていたのだろう。エイト達が一度だけゼシカの泣く姿を見たと言っていた。大切な兄が死んでしまった時。それ以来ゼシカは一度も泣いていないと言っていた。でも違ったんだな。ゼシカは泣かないんじゃなくて、泣く時は誰もいない所で小さな体をさらに小さく縮め、誰にも気づかれないように泣いていたんだ…。クソッ、何をやってたんだ俺は…。人間の俺がゼシカの傍にいられない分も、猫の俺はできる限りゼシカといようと必死だった。本当は何としてでも真っ先に呪いを解く事がゼシカのためになるのかもしれない。けれどいつ元に戻れるか分からないのに、今ここでゼシカの前から消える訳にはいかない。せめてゼシカが“ククール”を想って泣かなくなるまでゼシカの傍にいたい。ゼシカの胸元に滑り込み頬すりすりする。すると顔をほんのり赤くして「もう、私嫁入り前なのよ!」と可愛く怒るゼシカ。ゼシカが入浴する時についていって首筋や背中をぺろりと舐める。くすぐったがって、怒ったような困ったような顔で慌てて止めるゼシカ。可愛い。キスができない代わりに唇をぺろぺろ舐める。「ククールみたい…」と言いながら俺をぎゅっとするゼシカ。可愛い。可愛い。泣き顔も悪くないけど、やっぱりゼシカはこんな風に笑ったり照れたり怒ったりしている方がずっといいよ。ゼシカが泣かないためなら俺は何だってする。ずっと傍にいる。だからもう泣くなよ、ゼシカ。戻ったのは突然だった。いつものようにゼシカの胸元に潜り込んで心地よい眠りについた所までは間違いなく俺は“クク”だった。目が覚める。いつも通り俺を圧迫するゼシカの胸…違う。いつもだったら頭全体を覆っている温もりと弾力が今は頬の辺りにしか感じない。耳はいつも通り剥き出しになっているのに何故か違和感があった。頭のてっぺんじゃなくて、頬の後ろの方にある…?鳥の鳴き声も風の音も今日は随分と落ち着いていて耳障りが良い。ゼシカの胸元に窮屈に収まっているはずの俺の身体が、今はゼシカから大分はみ出してしまっている。…これはゼシカの足か?ゼシカの足が、俺の足に当たっている…?いつもなら毛を通して伝わるゼシカの体温がダイレクトに俺の肌を伝わる。このすべらかな肌を、いつもは半分以上も堪能できていなかったことを今更思い知る。…猫の時はこういう事への感覚が麻痺しちまっていたみてーだな。そう思うのと同時に状況を全て理解した。俺は今、人間の姿であると。どうやら魔物のかけた呪いは時間が経てば自然に効力がなくなるものだったらしい。戻るために必死になっていた日々は何だったんだろうとか、そんな事はもはやどうでもいい。それよりいったん自分の姿に気づいてしまうと意識はどんどんゼシカの方へ向いていく。──なんだこれ、くらくらする。猫の時、ゼシカの反応が可愛くて色々いたずらしちまったけどこんなにエロイ気分にはならなかった。ゼシカと素肌を合わせているだけの事がこんなに刺激的だったなんて。女の感触なんてよく知っているはずなのに、まるで生まれて始めて味わうような強烈な感覚。ヤバイ。このままじゃ俺、暴走しちまう。早く、ゼシカから離れないと…。行動を起こそうとした時に、俺と密着したままのゼシカの身体がぴくりと動いた。「…うん……クク……重いよ…」「…ああ…わり…」思わず普通に返事をしてしまった。寝ぼけているのかゼシカはそのまま俺の顔を抱え込み、胸に自ら押し付けるようにさらに強く抱きしめた。………………これじゃ離れられねえ。俺のお姫さまには困ったものだ。どうやっても俺の事を放すつもりはないらしい。諦めに似た気持ちと、それを上回る熱い感情が沸きあがりそのままゼシカを抱きしめかえす。俺の腕が余るくらいの小さな背中。その華奢な抱き心地に愛おしさが込み上げてくる。顔を包んでくれている柔らかな胸も申し分ないが、できれば見つめあい、唇を合わせたい。ぺろぺろ舐めるのはもう卒業だ。ふと頭を抱える腕の力が緩んだと思ったら、頭にキスが降ってくる。猫の時は“クク”を通して“ククール”を見ているんだと思っていたが、今更ながら“クク”自身も相当愛されていた事に気づく。なんだよ俺、人間だろうが猫だろうが、どっちにしろゼシカにめちゃくちゃ想われてるんじゃん!そう思ったら嬉しくて、さっきまでのエロイ気持ちはどこかへ飛んでしまった。もちろん今もゼシカに対しそういった類の劣情がないとは言えないが、今はそんな事よりもこの穏やかな一時を大切にしたい。この後の事はとりあえずゼシカがちゃんと目を覚ました時に考えよう。
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ククールが宿の一階に降りてくると、エイトとヤンガスが受付前に設けられたソファに腰掛けてまったりしていた。「…やぁ、ククール」エイトが、気の抜けた笑みで手を挙げる。彼らも疲労に満ちた顔をしている。ククールは苦笑した。「…おう」「ゼシカ、落ち着いた?」「なんとかな」「それはよかった」ソファに深々と座り込んで、ふぅ、と息をつく。ククールもその横に座った。「……ったく、俺の寿命50年分は返せってんだ」ヤンガスが不機嫌に呟き、エイトも同調してうんうんと頷く。しかし本当に疲れているのだろう、それ以上ククールを責める声は聞こえてこなかった。それよりも、安堵のほうが勝っているようだ。ククールも重ねて謝ることしかできなかった。そして彼らの想いが、やっぱりくすぐったかった。ククールが彼らの前に姿を現した時、大騒ぎのあとひとしきり小突かれ、殴られ、罵倒されて、それでもあのトロデやヤンガスやエイトが目に涙を浮かべているのを見て、ククールは謝罪と感謝と、ことの経緯を伝えようとした。しかしすぐに「そんなことはどうでもいい」と耳を疑うようなことを言われ、そして「すぐゼシカのところに行け」と強引に促されたのだった。今、ククールは改めて奈落に落ちてからの数日間のことを説明し、本当に死にかけたと笑った。「笑いごとじゃないよほんと…。体は?大丈夫?」「あぁ、助けられてからどっかの神父が回復してくれたみてぇでさ。全快じゃないけどケガもねぇよ」「ちゃんと休んでないんだろ?」「いや、しばらくあっちで休ませてもらったから。自分にホイミできるくらいには休んだ」「腹はへってねぇんでげすかい」「断食状態だったからいきなり食べると良くないってんで、軽いもんだけ食わせてくれたから 今は減ってねぇな。多分明日には食欲も元に戻るんだろうぜ」あっけらかんと話すククールに(それはわざとなのかもしれなかったが)、仲間たちは心底脱力し、笑った。「…まったく…。その調子だと、ゼシカに殴られたんじゃないの?」「――え、いや。…………アイツ泣きっぱなしで、それどころじゃ」照れ隠しなのかあさっての方向を向きながらボソボソ呟くククールに、エイトとヤンガスが顔を見合わせる。「…泣いてた?ククールがいなかった間、ぼくたちゼシカが泣いてるの見たことなかったよ」「……え?だって、あんなボロボロ…」その時、階段を転げ落ちるように降りてくる騒がしい足音が響いて、3人はビクリとそちらを振り返った。階段の手すりにすがるようにして、今にも倒れそうな足どりで、ゼシカがそこにいた。最後の段差を降りたところでドサリと床に座り込むのを、ククールが驚いて駆け寄る。すぐにゼシカの指がククールの腕を強く掴んだ。「――よかっ、た…っ、ククール…ッ」ゼシカは精いっぱいの笑顔でククールを見上げながらしがみついた。「…ッや、やっぱり、ゆめだったって、…おも…」悲壮な笑顔はたちまち歪み、あっというまに両の目から大粒の涙を流し始める。ククールはようやくしまった、と軽率だった自分に舌打ちした。反省するが、遅い。「わ、悪かったゼシカ。ごめんな、置いてって悪かった」「…っや、だ、もう…っやだぁ…っ」うわぁぁと泣き声をあげるゼシカと同時に、内心でうわあああと大焦りの悲鳴を上げながら必死で彼女を抱きしめあやそうとするククールの背中に、「……まさかククール、黙って置いてきたの…?」信じられない、と呆れを通り越して軽蔑すら感じさせる冷たい声が突き刺さる。「ち、ちが…っ、黙ってつーか、寝てたから!」「…………それ、余計サイテーだよ」「えええ」再び仲間たちに追いやられ、ククールはゼシカを抱き上げて追いたてられるように部屋に戻った。エイトとヤンガスは肺も吐き出さんばかりの巨大なため息をつく。「……なんであんなに世話かかるの、あの2人」「げす」しかし突然に訪れる死の別れに比べればあまりにも平和すぎるくだらない問題に、2人とも諦めたように苦笑した。 *ゼシカをベッドの上に座らせる頃には、ククールも自分のしでかしたことのマズさに気づいていた。それは彼女の立場になって鑑みればすぐにわかることだったのに。「ゼシカ…ごめん」渡されたタオルで涙を拭きながら、ゼシカはようやくおずおずとククールと目を合わす。気を抜けばまた泣いてしまいそうなのを堪えながら、真っ赤になってしまった目でククールを見つめる。ククールは彼女の前に跪いて見上げながら、その視線に答えるように冷たい頬に両手を添えた。「…オレが悪かった」「ッ、ち、ちがうの…私、ご、ごめんなさい…今、ほんとに…ダメなの…ごめん…」「もうどこにも行かないから」そう告げられた途端、ゼシカはくっ、とのどを詰まらせ、涙を飲みこむ。「…ごめん、なさい…私…今、変だから…」「ずっと心配してくれてたんだろ?」ゼシカは大きな瞳を見開いて、それからゆっくりと頷きながらまぶたを閉じた。頬に触れているククールの手に涙が伝う。「…私、自分でもどうしようもないくらい、動揺しちゃって、本当に、もう、ずっと、ずっと…」ゼシカは消えそうな声で、啼きながら話す。「…もし、このままククールが帰ってこなかったら、って…もう、会えなかったら、って…考えて、死にそうになった…こんなのもうイヤだって、ずっと叫んでた…」ククールは痛々しげに目を細めた。…そうだ、自分はゼシカのトラウマを抉るような真似をしてしまったんだ…「こんなに、こんなに、ククールが大切だったなんて、思わなかったの。大切だったけど、こんなにも苦しいなんて、思わなかったの…」「…オレもだよ」「…ククールも…?」「助け出されるまで、ゼシカのことしか考えてなかった。もしもう会えないなら、なんであの時こうしておかなかったんだとか、ああ言っておかなかったんだとか、後悔ばっかりで死にそうだった」「…私もよ」再びゼシカは涙が抑えられなくなり、肩を震わせながら頬を包む彼の手に自分の手を重ねた。「…何回も、何回も…、ッ…、ククールが帰ってくる幻ばっかり見えた…声が聞こえて、慌てて振り向いても、誰も、いないの…ッ…必死で探しても、どこにも…」「オレは幻じゃない。絶対にもう消えたりしない」「…ッ、だ、から、さっき、起きたら、ククールがいなくて、私…ッ」倒れこむように声をあげて泣き出した身体を抱きながら、ククールもそのままベッドに腰掛けた。―――幻ではなく今度こそ本当に帰ってきたのだと思ったはずの相手が、目覚めたときそこにいなかったら、どんな気持ちがするだろう?暗闇で一人目を覚ましたゼシカは、どんな思いでオレの姿を探したんだろう。ゼシカは、魂のよりどころになるほどに大切だった人を、過去に一度失っている。その時の喪失感は、彼女の中に思ったよりずっとずっと深く根付いていたんだろう。そして自分が思っていた以上に、オレは彼女に必要とされていたんだと、思い知った。自分が彼の人と同じだけ想われているなんて自惚れはしないけれど、それでも、絶対に、自分は彼女を一人にするべきではなかった。ずっとずっと、抱きしめていてやるべきだったんだ…腕の中で震える身体を、ククールはもう手加減などできず強く強く抱きしめる。この腕は幻想なんかじゃないのだと、彼女にわからせるために。再びゼシカが泣きやみ、しばらくの間心地よい静寂の中で2人抱き合っていた。しかしふいに部屋の隅に置いてあったランプの灯が消え、薄暗かった室内は唐突に暗闇になってしまった。タイミングの悪いことで、などとボヤキながらククールが火を灯すために立ち上がろうとすると、ゼシカが慌てて彼の腕を掴み、ぐいっと引っ張ったのだ。「…?どうした?」「えっ…」当の本人もびっくりしたように、掴んだばかりの腕を離す。そしてなぜか顔を赤く染めて俯いてしまった彼女を、ククールは無言でじぃっと観察するように見つめたあと、少しの罪悪感を覚えながらもこっそり苦笑してしまう。ほんの数歩だけの距離を、さっさとランプに火をつけて戻ってくる。再びベッドに座ったと同時に、ゼシカがククールの胸に飛びつき、ポスリと顔をうずめた。想像以上に直球だったので、ククールは目を丸くする。「…ゼシカ?」「……………ごめんね」それだけをシャツ越しに小さく囁いて、ゼシカは押し黙ってしまった。その一言で、困惑がありありと伝わる。多分、本人にも今の自分の行動が制御できていないんだろう。嬉しいのだが、やはりどうにも慣れなくて、こそばゆい。ククールは複雑な表情を浮かべつつ、(……まいったな)心の中で照れ隠しに近いため息をついた。自分の行動が制御できそうにないのは、こっちもだ。そして色々なものをごまかすために、わざとふざけた調子で声を上げる。「ゼシカ。オレ、そろそろ風呂に入りたいんだけどなぁ」「え」「オレが出るまで、一人で待っててくれる?」意地悪な瞳でのぞきこまれ、ゼシカはククールをちょっぴりにらみ返した。…わかってるくせに、という非難。「離してくれないと、風呂入れねぇ」にっこり笑ってそう言われても、ゼシカはその手を頑固に離さない。怒ったように言い返す。「…イヤよ」「ふーん、ゼシカちゃん大胆。じゃあ手繋いで一緒に入ろうか」「んな…っっ!!」もちろんククールはゼシカをからかい、緊張を和らげるためにそう言ってみたのだが…。咄嗟に怒って顔をあげたゼシカの顔が、真っ赤になり、怒りから、歯を食いしばり、悔しそうに、そして泣きそうに変わるのを目の前で見つめながら、ククールは心底焦る羽目になった。いつもなら間違いなく殴られたり燃やされたりするような発言を、はっきりと否定も拒否もしないまま、相変わらずククールの胸にしがみついてうつむいてしまったゼシカ…。このままククールが沈黙を保ち続ければ、そのうち、きっとおそらく多分、かなりの確率でゼシカはククールのふざけた申し出を受け入れてしまうような気が、ものすごくした。その反応は想定外にもほどがある。あのゼシカに“そんな”決意をさせてしまうほど、彼女は怯えているのだ。ククールは焦りに焦った。そして猛烈に後悔し、すぐさま震える身体をぎゅっと抱きしめた。「ウソ。ごめん。疲れてるし、もう今日は風呂に入る気なんかねぇよ」「…っ、べつに、わたしは」「だから一緒に入るのは、また今度な」「…ぅ…もう…バカ…」ゼシカも、彼の言葉が自分を気遣ったものであることに気づいている。抱きしめるだけじゃなくて、ちゃんと抱きしめられても、それでも不安で胸が震えて。彼に触れていないと、目の前で幻と消えてしまうのではないかという強迫観念が自分でも理解できないほど、胸を締め付ける。羞恥心もなげうって彼にしがみついても、その不安は心のどこかに澱のようにこべりついていて、底が知れない。―――どうしてこんなにも不安なのか。「…ごめん、ね…。……バカみたい…ククールは、…ここに、いるのに」「ああ。…ここにいるよ」ククールのあたたかい言葉が逆にいたたまれない。ゼシカは情けない自分を恥じどうにかしなければと思うのだが、やっぱり掴んだ手を離せない。これ以上ククールを困らせたくないのに、彼をどうにかして繋ぎとめておかないと何をしでかすかわからない自分が、怖かった。…だけどククールの腕は、何もかもをわかってくれているように、優しい。いつまでも抱き合っていられればいいのだろうけど、そうもいかない。ククールはこの数日ほとんど寝ていないという彼女の体調が気になった。「…お前、もう寝ないと。全然寝てないんだろ?」「……」「ゼシカ?」顔をのぞきこむ。途端にゼシカは顔を赤らめ、彼の腕の中でさらに小さくなり、ボソボソと囁くように言った。「……一つだけ、お願い…きいて」この状況での「おねがい」がなんなのかなんて、ククールにわからないはずもない。「あぁ」「……ッ、……今日だけ、だから……。…ぃ、一緒に寝て…おねがい」予想通りの返答にククールは苦笑するしかない。なんて無邪気で、大胆なことだ。ゼシカは己の不甲斐なさに泣きそうになる。「私、私、今日はもう、ほんとにダメ…ごめんなさい…ほんとに…ごめんね、バカみたい…」「いいよ。ただしオレも男だから、何が起こってもいいっていう覚悟はできてるんだよな?」あえてそんな風に言ってくれる予定調和のセリフにも、いつものように威勢よく返せない。「……覚悟なんて、ない…。…でも、それでも」―― 一人で寝るなんて耐えられない。ククールの胸に顔を押し付け、ゼシカは心の底から呟く。「おねがい…今夜だけだから。…明日になったら、ちゃんとするから…」「…ウソだよ。なんにもしない。お前が安心できるなら、明日だってあさってだって一緒に寝るよ」「…うん…」夜着にも着替えず靴だけを放り出して、ククールはまずゼシカをベッドに横たえふとんをかけた。不埒な思考を完全にシャットアウトしてから、自分もその横に寝そべり、ふとんにもぐりこむ。不安そうに見上げてくるゼシカの前髪を枕にひじをついて弄びつつ、優しく微笑む。「どこにも行かないから。…おやすみ」「ククールは…?」「なんかゼシカの寝顔見てからじゃねぇと、眠れそうにない感じ」そんな風に苦笑して見せて、彼女がなるべく早く眠るようにと促す。しかしそれは本心だった。ゼシカは頬を染める。そして躊躇したのち、小さな囁き声で言った。「…もうひとつだけおねがい、きいてくれる?」「…いいよ」「………ホイミ、して」意外な申し出にククールは目を見開いた。ゼシカがそっとククールの手を取り自分のあたたかくやわらかい胸に押しつける。見つめてくる信頼と甘えに満ちた瞳に、思いもかけない言葉が自然とククールの口をついで出た。「………じゃあ、オレのおねがいも、きいてくれる?」「え?…うん」「キスしていい?」今度はゼシカが目を丸くした。そして一気に全身を赤く染めた。胸の上で重ねた手の平から伝わる鼓動が、どんどん速くなっていく。ゼシカは、肯定も否定もできず動揺した。ククールは返事を待たずに、彼女のあごに手をかける。鼻先を触れ合わせて、少しだけ覚悟する時間を与えてから、ゼシカが何かを言いかけた瞬間に口唇をふさいだ。上下の口唇を丸ごとふさいで、何度も何度も角度を変えて、優しく噛んで、舌先で舐める…はじめは戸惑ってククールの身体を押し返していたゼシカの指が、しだいに力を無くしていった。そして口唇を合わせたまま唱えられた回復呪文が、ゼシカの全身を覚えのある心地よいあたたかさで包みこむと、まるで彼の口唇から癒しの力が流れ込んできたような錯覚に陥り、ゼシカは恍惚とした。気づけばなぜか、一筋の涙が頬を伝い落ちていった。「…ゼシカ?」「……やっぱり、ククールだ。……本当に、ククールなんだね…」ゼシカが新たな涙を流しながら艶やかに微笑む。ようやく実感できた、ククールは帰ってきたんだ、と。「もう…きっと大丈夫。不安になんかならない。でも、ね、やっぱり今日だけは…」「…あぁ。このまま手を繋いで一緒に寝て、明日の朝も、繋いだまま一緒に起きような」ゼシカはいつのまにか握られていた手を握り返して、頷く。おいで、と広げられた胸の中におずおずと顔をうずめて、ゼシカは安堵の息をつく。ククールも、ただ優しく交わしただけの口付けですっかり満たされてしまい、この状況にも関わらず、もはやなんの葛藤も欲望もわいてこなかった。ゼシカが、ククールがここにいることをやっと信じられたように、ククールも今頃になってようやく、ゼシカを抱きしめてここに生きていられることを実感し、その事実に心から喜びを感じた。そばにいられるだけでいいと思っていた自分たちは、それが間違いだったのだと気付いた。いつ何があったっておかしくない。ましてや自分たちは世界の敵を討ち取ろうとしている。後悔しないように、いつだって心の内を素直に相手に伝えておかなければいけない。きっと他の人には簡単なそれが、自分たちには一番難しいんだと、わかってはいるけれど。明日になったら、伝えよう。素直に。ただ、素直に。だから、繋いだ手に力を込める。「―――離すなよ?」「―――離さないでね?」2人同時に口にして、驚いて見つめあい、それから小さくクスクスと笑った。明日になったら、伝えよう。二度と後悔しないように。―――あなたが好きだと。 もしも君が死んだら 前編
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みんなで大盛り上がりのトランプ。負けたら罰ゲーム。このあとの買い出しで荷物持ち。珍しく、あのククールが負けた。本人は肩をすくめて、「こういう日もあるさ」と気取っていたけれど。 **「買い出しってお前ら、なんで今日に限って道具も装備も食い物もいっしょくたにすんだよ!」「だってこの街なんでも揃ってて便利だし」「他意はないでげすよ」「ハイ文句言わない。これもよろしくね、荷物持ちさん」両手に大きな紙袋を3つも抱えたククールの非難に、手ブラの3人はおかしそうに笑った。さらにゼシカが差し出した小さめの袋に、ククールはうんざりと眉をひそめる。「いやゼシカさんこれ以上無理だから。…って無理やり乗せるなよ!こら!」「うるさいわね、男なんだからそれくらいしっかり持ちなさいよ。それとも色男は力仕事が苦手だとか言うつもり?」「別に重いなんて言ってねぇだろ、これくらい余裕だっつーの。ただ…」「あら、じゃあまだ買い物しても大丈夫よね?エイト、角のお店に寄ってくれる?見たい洋服があるの」「ちょ、お前なぁ!」いつも通りのやり取りに笑いながら、仲間たちは普段よりも明らかに多めの買い物をした。途中からはゼシカがククールを引き連れてあちこちで買い物をしている間、エイトとヤンガスは喫茶店で休んでいたりしたのだが。日も暮れかけた帰り道。ククールの腕にはさっきよりもさらに幾つかの紙袋がかけられ、抱えた袋も嵩を増していた。少し先の前方に、エイトとヤンガスの後ろ姿がある。ククールとゼシカは夕焼けに照らされる街中を、並んでのんびり歩いていた。「……あ、ククール、ちょっとしゃがんで」ゼシカがそう言ってククールの服の裾を引っ張り、ククールは立ち止まってゼシカの方に重心を傾けた。彼が腕に抱えた紙袋のうちの一つを、ゼシカは背伸びしながらのぞき込み、手を突っ込む。袋の中から探し出したのは、開け口をきゅっとリボンでしばってある可愛らしい包み。「なんだそれ」「お菓子の詰め合わせ」嬉しそうなゼシカの返事に、うぇ、とククールが不満の呻きをもらす。「お前…人に荷物持たせるのにそんないらねーもんまで買ってんなよ…」「こんなの全然たいした重さじゃないでしょ。それにいらなくないもん」「いらねーよ。そういうのを無駄買いって言うの」「いるの。なによ、じゃあククールにはあげない」「あーごめんなさいすみません、やっぱりいります無駄じゃないです甘いもの」その調子の良さに呆れながらも、パクリとお菓子を食べながらゼシカが尋ねる。「何がいいの?キャンディ?クッキー?チョコ?」「ん~チョコ」「はい」少ししゃがんで首を突き出すククールの口の中に、ゼシカはチョコレートを入れてあげる。もぐもぐと咀嚼して、は~、と息。「うめ。やっぱこんな大荷物持たされて疲れてたんだなオレ。かわいそう」「勝負に負けた人が何言ったってはじまらないわよ」そっけないことを言いながらもゼシカは楽しげに笑って、大きなクッキーを半分に割り、ククールの口に突っ込んだ。そしてもう半分を自分で食べる。「おいしー」幸せそうに両頬を抑えるゼシカを見て、ククールも微笑んでしまう。「そりゃよかった」「次は何がいい?」「オレはもういいや。ゼシカ好きなだけ食べろよ」「えっ、これだけでいいの?もういらないの?」「甘いものは今ので十分」「男の人って信じらんない…」「常に甘いもん持ち歩いてる女の子の方がオレからするとよくわかんねぇけどなぁ…」ゼシカのウェストポーチの中に、常にチョコや飴が入っていることをククールは知っている。ぶつぶつと何か言いながらキャンディを口に入れるゼシカに、「甘いものはいいけど、なんかしょっぱいもの、買ってない?」「しょっぱい?フライドポテトは?ヤンガスが買ってたと思うけど」「なんでもいい」再び袋を探って目的のものを探し出すと、ゼシカはポテトの箱を持って、その一本をククールの口に運んだ。ゼシカが口元に近付けるたびに、あーと口を開いてそれを食べるククール。「飲み物ある?」「お水なら」荷物を両手いっぱいに抱えた彼に、食べ物を食べさせてあげる彼女。その光景が道行く人々の目にどう映っているかなんて、本人たちにはどうでもいいことだ。水筒のコップに水を注いで飲ませ、ポテトと言われればそれを食べさせる。しばらくそれを繰り返し、ゼシカは はた、と気付く。「…なんだかアンタ、いいご身分になってない?」「仕方ねぇだろ、両手ふさがってんだから」それはそうだけど、とゼシカは口唇をとがらす。ククールの罰ゲームなのに、これじゃまるで。「…私がククールのために奉仕してるみたいじゃない」ゼシカがふてくされて睨むと、ククールは最高の笑みでにっこり笑った。「わたくしはお嬢様の大切なお荷物をお預かりしている身ですので、それは大きな誤解というものです」「だったら自分で食べなさいよっ」「こんだけ荷物持たせといてどの口が言うかなーそんなこと」うぐう、と言葉を詰まらせるゼシカが可愛くて、ククールは笑いが抑えきれない。「あーうまかった。ごっそさん」「まったく夕飯前なのにあんなに食べちゃって…。お腹ふくれない?」「全然?むしろデザートとか欲しい気分」「…ほんと信じらんない」「なぁ、さっきのお菓子くれよ」「ダーメ。これからご飯食べるんだから、我慢しなさい」「菓子の一つや二つで腹なんかふくれねぇって」「ダメ」問答を続けるが、こうなった時のゼシカは断固としてククールのわがままを通さない。そこらへんの「しつけ」に関しては厳しいゼシカだが、いい年した大人の彼が甘いものをねだってブツクサと文句を言う様がなんだか無性におかしくて、思わず口元がゆるむ。「…ったくよー。ゼシカって時々、変に意固地っつーか態度デカイっつーか…」「はいはい。そんなに言うなら一つだけ、あげてもいいわよ」わざとらしくため息をついてゼシカが譲歩する。「え、マジで?珍しい」「そうよ。特別なんだから、ちゃんと味わって食べなさい」ゼシカが包みの中から取り出したお菓子の一つを手に取る。ククールは愛想よく返事をしながら、今まで通り、ゼシカの方に身をかがめた。抱えた荷物がこぼれそうだ。「もっと、しゃがんで」「もっとって、これ以上は…わっ」いきなり強引にマントの裾を引っ張られ、ククールの体が思い切りゼシカの方にかたむく。荷物が落ちる―――、咄嗟にそう考えたのと、同時。ククールの頬に、ゼシカの口唇がふわりと触れた。ドサドサドサッ。大きな荷物が音を立てて地面に落ちる間、ククールは石のように硬直していた。そして、素早く離れたゼシカが数歩先まで走って、ふいに振り返り、「――――間食もほどほどにしなさいよね!」そう叫んだのを聞いた時も、まだ硬直していた。彼女の姿が先を歩くエイト達に追いつき、さらにその道の向こうに姿を消してから。ようやくククールは口元を手で覆い、ゆっくりと天を仰いだ。「……………………間食なんかじゃねぇよ」地面に転がる荷物の存在に気付き、それを拾うため怠惰にしゃがみこむ。上の空でそれらを拾っていると、さっきゼシカが手に持っていたチョコレートが、まぎれて落ちていた。それを拾って、包みを開いて、口に入れる。甘い、とククールは呟いて、小さく笑った。そっと頬を撫でながら。それはチョコレートより、キャンディより、何よりも甘い。この世で一番甘いもの。2人の頬が赤く見えるのは、夕焼けのせいだけじゃ、きっとない。 **
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潮時・翌朝の時系列のククゼシ ※開発未満1※・※開発未満2※・※開発未満3※・※開発未満4※・※開発未満5※・※開発未満6※ ククールは慎重に様子をうかがいつつ、口唇を合わせたままそっと、彼女の下腹部で重ね合わせたお互いの指を、濡れた裂け目の中に侵入させた…「―――ッッん!!」急激にもたらされた異物感に、ゼシカは驚いて身体を跳ねさせる。しかしククールの口付けはなにごともないように優しく穏やかに続けられるので、ゼシカはもうどこに気を置けばいいのかわからなくて、混乱するものの抵抗する気力を奪われていく。ククールの指が、器用にゼシカと自分の中指を蠢かせ内側の粘膜を優しく擦ると、腰が自然に浮いた。強くないゆるやかな快感がじわりと沸き上がる。息が上がって、口づけが苦しい。「…気持ちいい?」 口唇の合間でククールが囁くと、ゼシカは息を大きく吸いながら、くたりと頷く。素直なゼシカにククールは微笑むと、口づけを、今度は乳房へと移動させた。「あっ…ん」色づく部分を大きく含んで甘噛みされると、痺れるような快感が走る。感じることに没頭しかけているゼシカを、ククールの低い声がすぐに引き戻した。「ゼシカ…こっち」「…ぇ…?」ずっとゼシカの体内でゆるやかに快感を生み出し続けていた指が、ゼシカのお腹側の性感帯を力をこめて撫であげると、ゼシカは声を上げ、否応なしにそこを意識せざるを得なくなる。自分の信じられない場所に侵入している、いやらしい自分自身の指の存在を。「お前の中、どんな風か教えて?」「…ヤッ、ア、ぁ…あ、…。……………あつ…ぃ…」「…濡れてる?」湿った温度と、からみつく粘液を、指先にじっとりと感じながら、ゼシカは頷く。ククールが、再びゼシカの胸を愛撫しだした。強い力で先端を抓られると、「ひゃ、ぅ…ッ!」全身が跳ね、胸にもたらされたはずの刺激が下半身に襲い来る。瞬間的に飲み込んでいる指が締め付けられたのを感じた。そして新たな体液で指先が濡れたことも。「……きゅ…て、なった…」初めて実感した自分の身体の反応をゼシカはただ素直に口にし、荒い息のままククールをぼんやりと見上げる。ククールは嬉しそうに破顔し、うん、と頷いた。「それが、ゼシカが気持ちいいとオレも気持ちよくなるってこと」「わたしが…きゅってしたら…クク、気持ちいいの…?」「最高に」「……こんなに濡れてるの……、…変じゃ、ない?」「変じゃない。もっと濡らしていいよ。そして、もっとオレを気持ちよくしてくれる?」「うん…」 ククールはゼシカと自分の指をシンクロさせて狭い内側を優しく侵しながら、待ち焦がれるように震える乳房を、空いた手と口で今までよりも若干激しく噛み、揉みしだいた。「あっ、ア…、ククール…ッ、ヤだ…ッ、や、ん…」「指、どんどん締めつけてるの…わかるだろ…?」「アンッ、アッ!ん、ぅん…ッ、……やだ、あっ」「いつもゼシカのココは、オレをこんなにキツく締め付けてるんだぜ…抜かないで、って」身体は官能にゆだねてしまっても、心にわずかに残った羞恥心がククールのあからさまな挑発に反応する。ゼシカが身体を強張らせると、連動するかのように中がきゅううと締まった。「んんん…ッッ、あぁっ、あっ、ヤだ、ヤだぁ、ダメ…!」ゼシカは首を大きく振って乱れた。小さく暴れた拍子にククールに掴まれていた指が離され、自らの体内からズルリと抜け出て力なくシーツに落とされる。ハァハァと息を荒げながら濡れそぼった指先を呆然と見た後、ゼシカは腕を緩慢に持ち上げ、それをククールの口元に近づけた。ククールが優雅にその手を取り、味わうかのように舐めはじめるのを、恍惚とした顔で見つめる。それはどこか、姫君の手甲に誓いの口づけを捧げる騎士のような、ロマンティックな光景にも見えた。騎士はぴちゃりと音を響かせて、姫君が零した 淫らな雫を恭しく舐め取っていく…ゼシカはゾクリと身を震わせた。ただ指を舐めるだけの行為が、このうえなく卑猥に思えて。「…ね、クク…私も、ククールをいっぱい気持ちよくしてあげたいから…だから、…だから、 ―――……もっと私のことも、気持ちよく、して…ほしい…。……私、変なこと言ってる…?」戸惑う瞳がたまらなく愛しく、かわいい。ククールは安心させるように笑い返して、ゆっくりとゼシカに覆いかぶさった。小さくキスして、瞳を合わす。「……仰せのままに」 ※開発未満1※・※開発未満2※・※開発未満3※・※開発未満4※・※開発未満5※・※開発未満6※